【紅茶茶園名鑑】高梁紅茶

【紅茶茶園名鑑】高梁紅茶

基本情報


茶園名   高梁紅茶
茶園主   藤田 泉(百姓のわざ伝承グループ)
産 地   岡山県高梁市
創 業   2005年(平成17年)
商品ブランド   高梁紅茶
食の安心・安全
受賞歴
 

茶園概要


〈生産者紹介〉




【藤田 泉 氏】
 1999年、当時44歳だった藤田氏は、それまで勤めていた岡山の出版社を退職し、周囲が猛反対する中、奥さんの故郷である高梁市に移住した。
 藤田氏が目指したのは、「自分で完結できる仕事」「やりがいのある仕事」だった。その後、新規就農を決意し、夫婦でトマト、米づくりを手掛けながら、2005年に地元の農家仲間と「百姓のわざ伝承グループ」を立ち上げることとなった。
 2003年から、地元の生活交流グループによって紅茶の試作品が作られるようになり、2009年からは、「百姓のわざ伝承グループ」にその技術が引き継がれ、藤田氏の手により、現在の高梁紅茶の形に至っている。2019年現在、県内の直売所、百貨店、喫茶店など75店舗に商品を納入し、好調な販売を行っている。


〈生産地と取り組み〉




ー高梁紅茶の盛り上がりと需要増ー


 高梁紅茶は、標高460mの山間部にある茶畑で作られている。昼夜の寒暖差が大きく、春から初夏にかけて霧がよく発生する。霧は、紅茶作りに欠かせない。スリランカの高地でも頻繁に発生するこの霧は、お茶作りに最適な環境である証拠となる。
 高梁市はかつて、緑茶栽培の一大産地だった。高梁市全体で、100戸を超える農家で茶の栽培が行われてきたが、高齢化や緑茶価格の低迷により、現在その数は最盛期の半分以下まで落ち込んでしまっている。
 その一方で、藤田氏による地紅茶づくりは10年が経過し、緑茶品種の“やぶきた”を使った紅茶は、ようやく自信のもてる品質に仕上がってきた。その後、マスコミに数多く取り上げられ、全国の紅茶愛好家から注文がはいるようになった。小さな茶産地で、もう少し量産したいが、原料となる茶葉が足りなくなってきた。




ー荒れ果てた茶畑の再生へのチャレンジー


 そこで、藤田氏は「地域に点在している荒れた茶畑を再生して、元の茶畑に戻せないか」と考え、2013年より、地元住民や学生等と協働して、荒廃茶園の再生に乗り出した。この問題は、地元住民や学生にとっても重要な関心事であったため、多くの人たちの理解と協力を得ることができた。そうして荒廃した茶園は、徐々に改善の手が加えられていくこととなる。




 これまで長年にわたり放置されてきた茶畑は、自然の一部に戻ろうとしていた。その場所はどう見ても藪の状態で、イノシシの棲家になっていたところ。放置された茶の樹は、4m近くまで伸びきっており、それを毎年少しずつ、地域住民と学生の手によって茶園の再生を行っていった。
 しかし、この茶園に植えられた茶は、実に樹齢50年以上。いくら茶園を整えたとしても、茶の木が弱っていれば再生は難しく、お茶の生産はできない。茶の木を再生させるため、地上50~60センチほどの高さのところを、チェーンソーでカットする「台刈り」を行った。そうすると、2ヶ月ほどで美しい新芽が出てきた。感動ものだった。




ー荒廃茶園から生産された紅茶の誕生ー


 齢50年の老樹は、過酷な環境下でも、力強く生き抜いていたのである。「荒廃茶園再生プロジェクト」を立ち上げて街の人、大学生、農家に声をかけて大勢の助っ人が協力してくれることになった。切り倒した茶の木を運び出したり、雑草を抜いたり、と助っ人のパワーに感謝だった。
 さらに6年が経過し、昔のような美しい茶畑が復活できた。“高梁紅茶”専用の茶畑である。ついには荒廃茶園からとれた茶葉で、特別な紅茶、緑茶が生産できるようになった。


〈生産へのこだわり〉




ー村松氏との出会いー


 当初は、品質が安定せず、試行錯誤を繰り返す日々だった。そこで、静岡県で国産紅茶の草分け的な存在である村松氏に、紅茶作りのノウハウの指導を仰ぐことにした。何度も静岡に通い、電話でも細かい調整方法を確認しながら、その後も改善を重ねた結果、次第に品質の高い紅茶ができるようになった。
 高梁市がもともと茶の生育に適していたことも相まって、仕上がった紅茶は、味・香り・水色どれをとってもバランスの優れた、素晴らしい出来栄えとなった。




ー地域を巻き込む高梁紅茶ー


藤田氏による紅茶作りは、地域の茶農家たちにも、大きな刺激を与えることになった。というのも、おいしい紅茶をつくるには肥料は極力少なく、自然に近い栽培が適している。農薬はもちろん、化学肥料も使用しないで土作りを大切にしている。このように「あまり手をかけない」ことは、茶樹に適度なストレスを与えることにつながり、結果的にそれが、紅茶の美味しさ、良い香りを育むのである。手間がかからず、さらにはおいしい紅茶を作ることができるということで、高齢化などで管理が難しくなった茶農家たちにとって、藤田氏の目指す紅茶作りは、とても都合が良かった。

 こうして、栽培当初は、わずかに50キロ程度であった生産量も、2019年現在では、年間で約700~800キロを生産するまでになった。地域の10戸の茶農家たちを巻き込んで、高梁紅茶はいま、新しいステージを歩もうとしている。


〈加工へのこだわり〉




 通常日本では、一番茶は緑茶として加工し、二番茶以降を紅茶として加工するケースが多い。しかし、藤田氏の工場では、紅茶製造のみに特化させており、一番茶から紅茶にしている。加工機械も紅茶専用のものを導入し、このことが高い品質の紅茶を生み出す源泉となっている。
 紅茶の加工は、突き詰めていくと、実に難しい。一番茶と二番茶、三番茶でそれぞれ、茶葉の硬さが異なる(一番茶は柔らかく、二番茶では少し硬くなる)。さらに、標高460mに立地する高梁紅茶の茶園では、5月の一番茶の収穫シーズンでは、28℃前後の気温が、二番茶のシーズンでは35℃近くまで上昇する。これら、茶葉や気候、湿度等が加工時に与える影響を加味し、最適な発酵状態で紅茶を仕上げる技術を磨いてきたことが、高梁紅茶の強みである。




 藤田氏は、「高梁紅茶の良さは、どんな食べ物とも合わせられる、紅茶としてのバランスの良さ」だと語る。その言葉を証明するかのように、高梁紅茶は、地元の商店で、実に様々な用途で使用されている。「日常としての紅茶」を目指す藤田氏の紅茶の広がりは、まだまだこれからが本番だ。


【藤田 泉 氏】
1999年、当時44歳だった藤田氏は、それまで勤めていた岡山の出版社を退職し、周囲が猛反対する中、奥さんの故郷である高梁市に移住した。
藤田氏が目指したのは、「自分で完結できる仕事」「やりがいのある仕事」だった。その後、新規就農を決意し、夫婦でトマト、米づくりを手掛けながら、2005年に地元の農家仲間と「百姓のわざ伝承グループ」を立ち上げることとなった。
2003年から、地元の生活交流グループによって紅茶の試作品が作られるようになり、2009年からは、「百姓のわざ伝承グループ」にその技術が引き継がれ、藤田氏の手により、現在の高梁紅茶の形に至っている。2019年現在、県内の直売所、百貨店、喫茶店など75店舗に商品を納入し、好調な販売を行っている。

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